言葉たりえないものを表現すること 〜 『詩を書くってどんなこと?』

若松英輔による本『詩を書くってどんなこと?』を読んだ。この本は平凡社が出している「中学生の質問箱」シリーズのひとつである。いわゆる「素朴な疑問」に対して、その筋の専門家が丁寧に答えてくれる。物事をわかった気でいる大人(私のこと)が読んでも面白いです。

「詩ってなんだろう?」という漠然とした疑問が生まれたのは、ゲーム『魔法使いの約束』をプレイしてからだ。私の推しは世紀の天才学者と謳われたムル・ハートなのだが、彼の話す言葉は哲学的で、知的で、情熱的で、聞いていると胸がざわざわしてワクワクする。彼と初めて(ゲーム内で)邂逅したとき、「あなたはきっと、私に失望なさるでしょう。それでも、あなたと友人になれたなら、私はとても嬉しい」と言われたことを何度も思い出す。なんと詩的な表現なんだろう。そもそも失望されるってどんな気持ちになるんだろう。「それでも、」の後に続く言葉に、どんな切実さや願いが込められているのだろう。もしも私がムル・ハートのように、何かを詩のように表現することができたならどんな気分になるのだろう。そんな疑問から『詩を書くってどんなこと?』を読み始めた。

この本には「詩を書くことはまるで、言葉というスコップで、人生の宝物を探すようなもの」であり、「ほかの誰のものでもない、自分にとっての「ほんとう」の何かを探す旅」と書かれていた。確かにこの考え方はムル・ハートが言っていた「人生は旅さ! 二度と出会えない素敵なものに、 あふれてる」に通ずるところがある。

そして「詩」は言葉では容易に語れない何かを表現しようとする試みであり、「詩情」は言葉では語り得ない何ものかを受け取ろうとするこころのありようを表しているそうだ。

人は「愛」とは何かを知らないのにこの言葉を用いるし、「愛」という言葉を使わずにそれを表現することもできる。「花」と言われたときに、どんな花を想像するかは人によってぞれぞれ違う。

私たちは自分の感じていることはきっと言葉にならない、そう思わざるを得ない経験を生きている。でも書くことによって、言葉たりえないものに近づいていき、より深めていく。書くという営みはそういうもので、それが分かればすでに詩人なのである。

私がこの世に言葉を留めておきたいと思う気持ちも、人の言葉や物語に救われる気持ちも、詩になり得るということが分かった。

最後はムルの詩的な言葉を引用して終わります。

この世のすべては自己探求のためにあるのさ。俺の知恵も、俺の好奇も、俺の情熱も、俺の魂のありかを知るためにある。きみも感じて、聞いて、味わって、触れて、世界と戯れながら、自己を探求して。きみの世界に、きみの魂の感性以上に、大事なものなんてないんだからね。

(引用:『魔法使いの約束』ムルの親愛ストーリー【意地悪な探求者】7話)

自分の「頑張る」と他者の「頑張る」は全然違う 〜 『神クズ☆アイドル』7巻

神クズ☆アイドルの7巻を読んだ。

神クズ☆アイドルの好きポイント125個目:目次がSNSのタイムラインになってるところ。オタク特有の誇張表現とかが挟まれる目次、いちいち芸が細かい。


さて、今回発売された7巻はタイトルのとおり、仁淀が自分の「頑張る」と他者の「頑張る」は全然違うと気付く回でした。

ある程度頑張って“流れ”に乗ることができれば…得る収入も格段に増えるということだな… 気づかなかった…!目先の「楽」に気を取られて本質を見抜けていなかったってことか……頑張って…アイドルってどう頑張ればいいんだ……!?

(引用:『神クズ☆アイドル』7巻  4ページ)

モチベーションが“収入増加”なのが良いですよね。収入大事。

仁淀は頑張らなくても全てをそこそこやり過ごしてきた人間なので、頑張り方が分からないということが分かっただけでも進歩だなと思うし、仁淀自身が周りにいる人の頑張り方をちゃんと分析して言語化できていることにも驚いた。

と思ったら後半でまさかの仁淀母が登場し、波乱の展開に.......。仁淀の性格を熟知している母親からの「アイドル辞めれば?」発言に、私は思わず「ねえ待って!仁淀はアイドル頑張り始めてるんですが!!!」と大声で叫んでしまった(お前は誰なんだ)。これは本当に不思議なことなんだけど、最初神クズを読んだとき仁淀やる気ねぇな…って思ってたのに気付いたら応援しちゃってるんだよね…おもしれー男。

 

そして色々あって(端折りすぎ)仁淀はアサヒちゃんの姿が見えなくなります。悲しい。だって仁淀とアサヒちゃんは1巻から二人三脚でやってきたわけじゃないですか。そんなのあんまりだよ…と嘆いていたら、今度は瀬戸内くんにアサヒちゃんの姿が見えるようになってて爆笑した。私の情緒どうしてくれんだ。

瀬戸内くんが仁淀オタクをやってる姿を見るのが大好きなんですが、今回アサヒちゃんに胸の内を話している場面がすごく印象に残った。アイドルをずっと続けていたい人もいるが、仁淀はいつだってやる気が無くて、もしかしたらアイドルなんていつでも辞められるのかもしれないと思いながら、それでも仁淀がステージで輝く瞬間をもっと見たいし、でもそれは自分の願望を押し付けてるだけなんじゃないか…と吐露するところね。仁淀を偶像ではなくちゃんと人間として見てるというか、尊重したうえで己の願望がときにその人を苦しめるかもしれないことを自覚してる(ここ重要)。

あと、瀬戸内くんがアイドルを応援している自分を身勝手だと思うこともあるし、その人の全てを知ってるわけではないのに、元気を貰ったり励まされたり喜んだり怒ったり…でもそうしている自分が一番自分らしい・本当は自分のために何かを応援してるのかもしれない、と話すときの表情とかさ〜すごく幸せそうだった。仁淀、聞いてる(見てる)か〜!?

なんか、瀬戸内くんから見た「アイドル:仁淀ユウヤ」がどれほど大きい存在なのかがよく理解った。

今回も面白かったです。8巻の発売が楽しみだ。

本当に変わるべきなのは?〜『トールガール』

Tumblrのアカウントを消してしまったので、はてなブログに再掲。

『Work It 〜輝けわたし!〜』や『友情にSOS』に出演していたサブリナ・カーペンター目当てで、Netflix配信の『トールガール』を観た。

187cmの高身長に悩む高校生のジョディ(エヴァ・ミッシェル)が、スウェーデン人の交換留学生スティグ(ルーク・アイズナー)に恋をして、コンプレックスを克服しようと決意するが……というストーリー。

※『トールガール』の日本語吹き替え版はスティグの声が内山昂輝(←重要)でした。


ただ立って歩いているだけで、人に見られ、「雲の上の景色はどう?」と揶揄われる。この映画は王道のロマンティックコメディでありながら、高身長ゆえに「疎外感」を抱えるジョディが、「自らを拒絶する世界で居場所を見つけようとする話」でもある。そんなジョディの世界には、自分を好きでいてくれる人の存在が必要不可欠であり、心の拠り所にもなっている。

ジョディの親友ファリーダ(アンジェリカ・ワシントン)はいじめっ子からいつもジョディを守ってくれる。懲りずに「雲の上の景色はどう?」と声をかけてきた相手に対しても容赦ない。

「私の親友に何か?ジョークならもっと私たちを笑わせてみたらどう?」

「悪かったよ」

「いいえ、悪いのは私のほうよ。毎日何度もアホな質問をされるこの子に何にもできないんだから。聞かれるたびに彼女は魂を削られて同様に私の魂も削り取られるの。魂の削り人さん。あだ名にしたらどう?」

ファリーダは主人公や周囲の人に助言をする立ち位置なのだが、だからと言って常に誰かと一緒にいる訳ではない。彼女の「人目を気にせず踊る」性格がすごく好きで(パーティーでも1人でいる)、この映画で一番お気に入りのキャラクターになった。

またジョディの姉ハーパー(サブリナ・カーペンター)は複数のミスコンで優勝している美貌の持ち主なのだが、よくある姉妹の格差的表現もなく、関係は良好。妹思いなんだけど、頑張るベクトルが特殊すぎて時々ジョディを困惑させるところが面白い。

ジャック・ダンクルマン(グリフィン・グラック)はジョディのことが好きな小柄の少年で毎日愛を伝えては振られている。正直ダンクルマンの執念深さにはこっちまで辟易してたのだが、ホームカミング前のパーティーでジョディとの関係性(しかもちょっと嘘が入ってる話)を周囲にバラすスティグに激怒するシーンがすごくカッコよくて見直してしまった。見直してしまった自分が悔しい。


あとこういう物語って「父親は不在」というイメージが強かったけれど、この映画は「普通」を押し付けてきた父親がちゃんと変わろうとするし、積極的に関わろうとするのも印象的だった。


周りが勝手に決めた「ただ身長が高い女の子」という定義を、周囲の人が、そしてジョディ自身が揺るがしていく。

「私は妹で、親友もいて、賢くて面白い。ピアノが得意で、ものすごく上手に弾ける」というジョディの宣言は普遍的に聞こえるだろうが、彼女の歩みを目の当たりにしてきたからこそ、その言葉の重みが伝わってきた。

と同時に、ルックスを揶揄われた当事者が「私は自分が好き。だからなんとでも言って」と宣言することの“強さ”を賞賛してはいけないなと思った。


だって変わるべきなのは揶揄われたほうではなく、揶揄ってきたほうだよ。