本当に変わるべきなのは?〜『トールガール』

Tumblrのアカウントを消してしまったので、はてなブログに再掲。

『Work It 〜輝けわたし!〜』や『友情にSOS』に出演していたサブリナ・カーペンター目当てで、Netflix配信の『トールガール』を観た。

187cmの高身長に悩む高校生のジョディ(エヴァ・ミッシェル)が、スウェーデン人の交換留学生スティグ(ルーク・アイズナー)に恋をして、コンプレックスを克服しようと決意するが……というストーリー。

※『トールガール』の日本語吹き替え版はスティグの声が内山昂輝(←重要)でした。


ただ立って歩いているだけで、人に見られ、「雲の上の景色はどう?」と揶揄われる。この映画は王道のロマンティックコメディでありながら、高身長ゆえに「疎外感」を抱えるジョディが、「自らを拒絶する世界で居場所を見つけようとする話」でもある。そんなジョディの世界には、自分を好きでいてくれる人の存在が必要不可欠であり、心の拠り所にもなっている。

ジョディの親友ファリーダ(アンジェリカ・ワシントン)はいじめっ子からいつもジョディを守ってくれる。懲りずに「雲の上の景色はどう?」と声をかけてきた相手に対しても容赦ない。

「私の親友に何か?ジョークならもっと私たちを笑わせてみたらどう?」

「悪かったよ」

「いいえ、悪いのは私のほうよ。毎日何度もアホな質問をされるこの子に何にもできないんだから。聞かれるたびに彼女は魂を削られて同様に私の魂も削り取られるの。魂の削り人さん。あだ名にしたらどう?」

ファリーダは主人公や周囲の人に助言をする立ち位置なのだが、だからと言って常に誰かと一緒にいる訳ではない。彼女の「人目を気にせず踊る」性格がすごく好きで(パーティーでも1人でいる)、この映画で一番お気に入りのキャラクターになった。

またジョディの姉ハーパー(サブリナ・カーペンター)は複数のミスコンで優勝している美貌の持ち主なのだが、よくある姉妹の格差的表現もなく、関係は良好。妹思いなんだけど、頑張るベクトルが特殊すぎて時々ジョディを困惑させるところが面白い。

ジャック・ダンクルマン(グリフィン・グラック)はジョディのことが好きな小柄の少年で毎日愛を伝えては振られている。正直ダンクルマンの執念深さにはこっちまで辟易してたのだが、ホームカミング前のパーティーでジョディとの関係性(しかもちょっと嘘が入ってる話)を周囲にバラすスティグに激怒するシーンがすごくカッコよくて見直してしまった。見直してしまった自分が悔しい。


あとこういう物語って「父親は不在」というイメージが強かったけれど、この映画は「普通」を押し付けてきた父親がちゃんと変わろうとするし、積極的に関わろうとするのも印象的だった。


周りが勝手に決めた「ただ身長が高い女の子」という定義を、周囲の人が、そしてジョディ自身が揺るがしていく。

「私は妹で、親友もいて、賢くて面白い。ピアノが得意で、ものすごく上手に弾ける」というジョディの宣言は普遍的に聞こえるだろうが、彼女の歩みを目の当たりにしてきたからこそ、その言葉の重みが伝わってきた。

と同時に、ルックスを揶揄われた当事者が「私は自分が好き。だからなんとでも言って」と宣言することの“強さ”を賞賛してはいけないなと思った。


だって変わるべきなのは揶揄われたほうではなく、揶揄ってきたほうだよ。