クソみたいな現実に抗うための音楽と言葉〜『カセットテープ・ダイアリーズ』

「10歳の頃から詩と日記を書いています。面白くないですが」

「ならなぜ書いているの?」

「考えを書き留めておくため。うちは父以外意見を持てないんです」

「あなたの生の声が聞こえる。このか細い声を届ける義務がある」

(引用:映画『カセットテープ・ダイアリーズ』の主人公ジャベドと国語教師のクレイ先生が会話するシーンから)

 

映画『カセットテープ・ダイアリーズ』を観た。

youtube.com

 監督はグリンダ・チャーダ。1987年のサッチャー政権下のイギリスを舞台に、パキスタン系移民の両親と暮らす高校生ジャベドの苦悩と成長を描いた作品だ。冒頭の言葉はジャベドと国語教師のクレイ先生とのやりとりである。ジャベドは小さい頃から毎日詩と日記を書き続けており、将来は作家になることを夢見ているのだが、パキスタン系移民であることから露骨で暴力的な人種差別を受け、ひっそりと目立たないように生活していた。こういった状況で、しかも父親が保守的な人なので、ジャベドは堂々と「作家になる」ことを宣言できなかった。そんなある日、ジャベドは学校でループスという人物と友人になる。彼がいつも聴いていたカセットテープはブルース・スプリングスティーンのものだった。そしてこのカセットテープこそがジャベドの運命を一夜にして変えるのである。

 ある嵐の夜、日々の生活の中で鬱屈と焦燥を抱えたジャベドが、自分の書いた詩や日記を破り捨てたとき、ブルース・スプリングスティーンのカセットテープが目に入った。そして彼の音楽を聴いた瞬間、ジャベドの身体に電撃が走った。こんな嵐の夜なのに外に出たくてたまらないという衝動、そしてブルース・スプリングスティーンの「何もかも吹き飛ばせ」という歌詞に突き動かされた人間が、エンジンを加速させて走り出す車みたいに家から飛び出し、圧倒的な幸福を得るのである。その演出手法がとても素晴らしかった。
 またジャベドは父親の古い価値観からの脱却、社会への不満を詩として出していたものの、そこから先に進めなくてもがいていたので、外的要因(ブルース・スプリングスティーンの音楽や歌詞)の結果として「校内新聞にブルース・スプリングスティーン評を書く」とか「インターン先に新聞社を選んで記事を書く」という行動に至っていたのも良かった。ただ私が腑に落ちなかった点は、ジャベドの幼なじみであるマットが「(女の子と)恋愛してないから堅苦しくて面白くない歌詞を書くんだ」的なことを言っていた部分だ。マットが言う堅苦しくて面白くない歌詞は「政治的」という意味である。これはマットが白人であり、お金関連のことでもあまり苦労をせず、誰かから糾弾されることなく日々を過ごしているからであり、「恋愛してないから〜」は、人間は当然のように恋愛するものという認識を持っているから出た言葉だろう。経験がなくても何かを書くことはできるし、それが面白くないのは書いた側の力量によるもの、もしくは読んだ側の認識の違いという場合もある。なので一概に切り捨てるのは違うんじゃないか…とモヤモヤしたのであった。

 話を戻しますが、この映画は同時にサッチャー首相の政策(小さな政府)からこぼれ落ちてしまった人という負の連鎖、公道で行われる極右団体のヘイト運動についての描写もある。それがどれほどの人を傷つけてきたのかと思うと眩暈がした。しかし悲しいかな、その状況は今現在も続いている。

また本作は一貫して「誰かに教えてもらったものを受け止め、自分のものにしていく」過程を描いている。クソみたいな現実に異議を申し立て、自らを解放していく。たとえ熱狂から覚めて現実に向き合うときが来たとしても、それが原動力となって未来を切り開いていけるかもしれない。そんな希望を持てる内容だった。ちなみにこの映画は実話が元になっている。